フランシス・ベーコンの狂気に潜むカリスマ性の根源
画家フランシス・ベーコン
画家フランシス・ベーコンの生涯と作品について書かれた『僕はベーコン』という書籍を読んで、カリスマ性について考えてみた。
フランシス・ベーコンは1909年、アイルランド生まれの画家であり、画家としての正統の教育は受けていないこと、ホモセクシャルであること、飲酒癖もかなりあり、個性的なパーソナリティの画家である。
『僕はベーコン』はそんなエキセントリックなベーコンの生涯と作品を、カラフルなイラストとともに紹介してくれる。
カリスマ性とは何か?
ベーコンはその生前、死後ともに、多大なカリスマ性があった。
倒錯的で問題のあるパーソナリティ、ベーコンの描く絵は美しいとは一切言えず、奇怪で薄気味が悪い。この様な人間がなぜ、カリスマ性を持つのか?
フランシス・ベーコンについて考えるにつけ、
カリスマ性=差異×熱量×自発性
ではないか、と考えるようになった。
差異
差異とは、人の好奇心(Curiosity)を生む、価値の源泉である。
「普通」では、その人のパーソナリティ自身に価値が生まれることはない。
熱量
そして、その差異は他人から見てもはっきりと見て取れるものでなければならない。
つまり、差異が際立つくらい、その差異を生む対象に対して、熱意や情熱がなければならない。
これは、アメリカで成功者の条件として、GritやObsessionが取り上げられること同じである。差異は極大化され、クリティカル・マスを超えて、初めて多くの人の目に価値として映るようになるのである。
How to be as great as Bill Gates, Steve Jobs, Elon Musk, and Richard Branson - Quora
自発性
熱意によって極大化した差異によって、人目に付くようにはなる。
しかし、その差異が人々の共感を生み、カリスマ性を生むとは限らない。
例えば、「極端に貧乏です」では、確かに目立つが誰も憧れないし、カリスマ性は生まないのである。
では、カリスマ性を生む差異とそうではない差異は何か?
その違いは、その人が進んで(Willing)その行為を行っているかどうかによる、である。
人が自身で望んでいる行っている行為は、人にもよるが必ず他人の共感を生む要素を含んでいる。
ベーコンが望んで奇怪な絵を書き続けたことも、共感を得る人が一定必ずいるのである。
まとめると
この様に考えるにつけ、やはりよく言われるように、
- 好きなこと(望んでやりたいこと)
- に、自分の資本を集中的に投下する
- そして、その過程や成果を表現する
- それを、とにかく続ける
というのが、カリスマ性を得る道でも正しいと思う。