タンホイザー、イデオロギーの対立
METライブビューイング
METライブビューイングにて、ワーグナー(Wagner)のタンホイザー(Tannhauser)を鑑賞しました。
METライブビューイングはニューヨークのメトロポリタン歌劇場の講演を、映画館で配信するというもので、私が学生の時、4年以上前から実施されています。
余談ですが、メトロポリタン歌劇場は映画館で配信し、ベルリンフィルは演奏をインターネット配信しています。クラシック音楽業界でもデジタル戦略に乗り出しているところはちらほら見られます。
ワーグナーとは?
モーツァルトのオペラが大好きだった学生の頃の、ワーグナーのイメージは「金、権力、女」なバブリーな脂ぎったおじさんが好きな音楽というものでした。
2作くらい鑑賞した結果、時折荘厳な音楽は流れてくるものの、まず長く、さらに、話しはずっと権力に関する闘争で好きにはなれませんでした。
一方で、自分も歳を取ったらこういう音楽を好きになるのかな、とも思っていました。
なっていったって、熱狂的なファンの多さではワーグナーはクラシック音楽会でも屈指でしょう。
それから、7年くらいが立ち、4年以上の社会人経験を経て、ワーグナーを聞きました。そして、すごく魅了されました。
それは、ワーグナー作品の中でも比較的取っ付きやすいタンホイザーだったからかもしれません。
しかし、とにかくその荘厳な音楽に刮目してしまいました。
イデオロギーの対立
そして、このオペラを構成する大きな幹は何なのか、と考えました。
それは、イデオロギーの対立です。
タンホイザーは2つの愛、2つの世界の間で揺れ動きます。
- ヴェーヌスの官能的な愛とエリザベートとの精神的な愛
- 喜びと永遠の神々の世界と、秩序と有限な人間の世界
イデオロギーは同じレベルでは決して、すり合いません。
他方は他方を容認しないのです。
この難解さや苦労、そこから生まれる人の感情は、なかなか学生の頃には分からなかったのだろう、と感じたのです。
様々な思惑、様々な人間関係が張り巡らされた状況を垣間見ることによって得られたアクチュアリティーが無いとワーグナーの音楽は理解できないのかもなーと思った次第です。
折り合いのつかない世界で闘争、必死に生きることがあの荘厳な音楽の土台になっているのではないでしょうか。
様々なことを経験しないと理解できない。
様々なことを経験することによって芸術そのものの理解が変化する、そして、芸術によってものの見方が変容する。
それこそが、芸術の価値だと改めて思いました。