賢い人は何が違うのか?(物事はどこまで考えれば良いのか)
賢い人とは
中高一貫の進学校から、京都大学に進学し、さらに、同期の大半が東大、京大生の職場に就職した
その中には、当然、賢いなと思う人が各組織で数人いた
その人たちは何が違うのか?というお話です
「賢さ」は「何をやるか?」によっても異なる点もあるので、今回は現在の職場、仕事をやる上での賢さを考えたいと思う
職場においての賢さ
「職場、ビジネスにおいての賢さ」とは何か
それは、「複雑な物事、目には見えない事象の因果関係を理解していること」だと思う
例えば、「この新規事業を行うべきか、どうか」について、様々な角度から検討し、事業がうまくいく、もしくはうまく行かない要因を突き止めることができる
例えば、人事上の施策でどのようなアクションを行えば、組織の課題が解決できるのか
これらは、曖昧模糊とした事象を整理し、何が何にどういう影響を与えるかを考えて行かなければならない
受験勉強での賢さが情報の処理速度という速さが加味されやすいのに対し、こちらは幅の広さや深さが必要になる
賢い人は何が違うのか?
それでは、このような賢い人たちは何が違うのか?
今の職場でも数人そういう、賢いと思う人がいる
彼らに共通しているのは、「自分が違和感を感じるポイントで必ず立ち止まる」ということだと思う
所謂お受験エリートがスピードを駆使して駆け抜けるところで、彼らは躊躇せず踏みとどまる瞬間がある
(別にその人たちは思考スピードが遅い訳ではなく、たまにスピードを止めて考える時があるという意味)
おそらく、このような自分の中で違和感を感じた正体や納得できないことを考える時間に彼・彼女らの思考は深まるのだと思う
そもそも、自分の違和感に敏感にならないと、「何を」本当に考えるべきなのか?というのは分からないはずだ
例えば、職場で優秀なエンジニアは、話していて違和感を感じたら「う〜〜〜ん」と言って必ず考え込む
自分が違和感を感じたポイントはどこなのか?なぜ、違和感を感じたのか?それは自分の考えの前提が何で、今話されているところと何が違っており、それはどちらが正しくて、それはなぜなのか?ということを考えているんだろう
(本人にきいたことは無いが)
したがって、少しでも賢くなるためにすべきことは以下の3点である
- 自分の中の違和感に敏感になる
- その時は、なぁなぁで済まさず、必ず立ち止まる
- 腹落ちするまで考える
これを毎日実行することで、思考の深さと幅が出てくるはずである